研究概要
目的
本研究は、政治と社会の相互作用としてのガバナンスの解明にむけて、日本の市民社会の構造を包括的かつ実証的に調査し、米韓独中との5カ国比較を基に日本の特徴を明らかにする。ここで構造とは市民社会組織全般を指し、特に本研究では3つのレベルの構成要素に注目し、実態的、比較的、歴史的に徹底的な実証研究を行い、現代日本市民社会の構造的パターンを発見しようとする。
市民社会組織3つのレベルとは、伝統的な近隣住民組織(自治会、子供会、老人会など以下近隣組織)、既存の社会団体、新興の運動体(NPO・NGOなど)の3つをさし、其々について日本全国では包括的に、また韓米独中の4カ国では3ヵ所を調査する。調査は、市民社会論、ソーシャルキャピタル論、政策ネットワーク論、ガバナンス論という相互に関連する4つの理論的背景を基に、組織・指導者の属性、他の政治・行政アクターとの関係、住民・市民との関係、市民社会組織(3レベル)相互の関係、影響力評価、政策志向・行動、信頼関係、公共性意識などの設問を設ける。
特色・独創性
本研究は世界で初めて市民社会組織全般への構造的で比較政治的な大規模実態調査を行う点にある。市民社会組織はどの国においても形態が一定でなく量的にも膨大であり、一般に信頼できる統計や名簿類は存在せず、調査研究がとりわけ困難な対象である。しかし民主主義の健全性やガバナンスにとって不可欠な媒体であることは確かである。
またここで「全般」を強調するのは、永続的な組織を持つ圧力団体や社会団体に留まらず、日本にユニークとされたがこれまで体系的な全国調査がされたことのない近隣組織から近年急速に台頭するNPOまで包括的に調査し、その構造・行動特性や相互関係・作用を解明する点にある。特に近隣組織は30万規模で日本各地に偏在するものの、実態や機能の把握が困難であるが、日本のソーシャルキャピタルとガバナンスを考える上での不可欠である。近隣組織を含めた新たな調査方法はそれ自体がユニークである。他方、既存社会団体の包括的な比較調査も、既に第一次調査を終了しているが、今回第2次調査を行うことで信頼性が増し世界的にも類例がない貴重な研究となる。
こうした大規模な市民社会組織3層、5ヶ国にわたる実態調査が必要なのは、市民社会やガバナンスに関連して日本が理論的にまた実際的に「パズル(疑問)」に満ちているからである。日本とともに実態調査される4カ国、韓中米独は日本との比較可能性も高く、ガバナンスとの相関分析での成果が期待できる。
日本を巡るパズルと関連研究での位置づけ
往々にして看過されやすいが日本の政府(中央・地方)、公共セクターの規模は人員・財政規模ともに先進国で最小である。日本のガバナンスの高低はその尺度を含め分析や検討の対象であるが、日本のある分野のガバナンスは相対的に高く、ある分野は低いと考えられる。21世紀に入り日本の「最も小さい政府」はさらに縮減することを強いられている。他方で、NPO法や公益法人改革に見られるように日本の市民社会も転換期にある。
こうした中で日本のガバナンスと市民社会の相互関係は極めて重要なテーマとなっている。
サラモン、アンハイヤー(後掲)らはNPOの経済的・制度的な分析によって日本の「市民社会の弱さ」を大規模な比較のなかで論じた。ソーシャルキャピタルの視角から猪口らは日本の「市民社会の強さ・豊かさ」を指摘した。山本・五百旗頭は新しいNPOの噴出によって日本のパワーシフトを、ペンペルはレジームのシフトを論じた。いずれも重要な指摘であるが、市民社会とガバナンスの全体像を捉えるには実証的な限界があり、やや一面的な指摘に留まる。村松らの圧力団体研究も重要であるが、政策過程内の調査に留まり、市民社会との関連はやや薄い。
本研究は、日本国内での地域比較と韓中米独国際比較により、日本の市民社会は実際どのような構造と行動の特性をもつか、それは日本のガバナンスをどのように説明するのか、「強くて弱い」日本市民社会を比較実証的に解明し、かつ日本モデルの全体像を解明しパズルを解こうとする。
これまでの準備と継続研究との関連
代表者は、80年代以降一貫して国家と社会の媒介項である利益集団や市民運動体に注目して研究を続けてきた。特に1990年代以降の研究を通じて、日本の地球環境に関する政策ネットワークの「狭さ」や労働・産業関係における政策ネットワークの「発達と凝集性」を比較政治的に析出した。こうした政策ネットワークや政策出力の特徴の原因を市民社会レベルの構造に求めて、1997年から2003年にかけて市民社会組織の比較調査を実施した。日本、韓国、米国、ドイツ、中国において首都および地方の1地域(中国のみ2地域)における市民社会組織の実態調査を行った。また2003年か ら学術振興会人文社会科学振興プロジェクトに参加し、学融合的な共同研究のなかで、様々なガバナンス問題の解明、NPOなどの新しい動向、運動体や近隣組織などの把握が緊要であることを認識した。また学術振興会人文社会プロジェクトにおいて多元的共生の社会モデルを探るためには途上国や移行国を含めた調査が必要とあるとして、トルコ、ロシア(03-04年)、フィリッピン(04-05年)の調査を行った。こうした先行する市民社会調査は、予備調査として本研究へ基礎データと比較分析対象を提供する。
代表者は、米国東西センター、ハーバード大学の「日本を中心とした市民社会比較プロジェクト」「アジアの市民社会比較プロジェクト」にも参加し、自らの研究成果を国際的なフォーラムで発表し、また批判の俎上にあげてきた。代表者はまたOECDのソーシャルキャピタル測定国際会議(02年)に招聘され、ソーシャルキャピタル研究の国際的動向を把握し、内閣府のソーシャルキャピタル調査研究会にも参加し、ガバナンスとの関連について予備的検討を行った。
本研究の予想される影響
本研究は、中韓米独との比較の中で、日本のガバナンスの市民社会的基礎を明らかにする。既に触れたように日本の市民社会のある特徴はガバナンスのある長所につながるが、他方別の特徴は短所に繋がる、そうした関連性を本研究は検証しようとする。
日本や世界のガバナンス、具体的には民主主義の健全性、統治能力、政策の対応能力や創造性に関して政治−社会の理念モデルを考える上でも、また世界の多元的な共生を目指して、地球的な政治−社会のモデルを日本が構想する上でも、まず日本の市民社会がもつ経験や実態は、客観的にかつ正確に把握されなければならない。政治や社会の諸理論や概念が欧米起源であり欧米バイアスを帯びるため(例えばassociationでは町内会や各種団体など市民社会組織構造の全体は把握できない)、比較意識調査や政府データに依拠する調査は、日本の正確な実態を見逃し、歪んだ結論を導き易い。さらに複綜した途上国・移行国の実態やモデルは導出できない。
本研究によって3レベルにおける市民社会構造に関して、5カ国比較による日本の市民社会特性、また日本国内での各県・自治体の市民社会特性が抽出されれば、それはガバナンスの各指標、政策特性、政治勢力特性など重要な要因との関連を把握することが並行した重要な課題となる。
日本の市民社会構造の、全体像の把握とそのデータベース化は、多くの人文社会科学研究に(西欧バイアスの無い)基礎データを提供することとなり、それは世界の社会科学への日本からの大きな貢献となるであろう。
本研究のより現実的な影響としては、地方分権改革が進展する日本において、3レベルの市民社会構造と自治体ガバナンスの関係を解明する重要な基礎データを提供する。また国際的に見ても、各国の政府の縮小傾向の中での市民社会構造とガバナンスの関係を解明する重要な基礎データを提供する。日本社会の市民社会構造のモデル化は、ODAの見直しの中で問われる開発途上国の社会モデル、ソーシャルキャピタルを念頭においた援助のあり方などに示唆を与えるであろう。